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心に刻む鈑金塗装

自宅の一角から始めた塗装業

1962

日本の経済が高度成長期に向かって邁進し始めた昭和37(1962)年、私たちの会社は名古屋市瑞穂区の住宅地に塗装を生業とする三進化学工業株式会社としてスタートしました。
社員はわずか3名。当社の商標である「SANSHIN」はこの創業時の社員数に由来するものです。

私たちの会社は3人でスタートしました

当時の主な仕事は道路標識のポールへの塗装でした。
瑞穂区の自宅の一角から始めた私たちの会社が、現在の所在地である名古屋市天白区に移転したのは、ちょうど分電盤の製造を始めた頃で、今から約40年余りの昭和49(1974)年の事です。
当時は社員数や専用機も増え、以前からの工場では手狭になっていたのです。

高度経済成長時代

日本経済の飛躍的な成長に伴って、全国各地で公害や騒音問題がクローズアップされるようになり、私たちの住宅街での工場経営も、次第に難しい時代になろうとしていたのです。
先代から受け継いで、私が現職に就いたのは22歳の時でした。余りにも若く、そして突然のことだったので、とにかくわからないことだらけ。まずは会社の全体像を把握することが大事だと思い、
自ら率先して工場の現場に立ち、鈑金から塗装までの作業工程を必死で学びました。

モノを作るのではない
モノを作る人生を作っていく

モノに乏しい時代に生まれ、モノが溢れる激動の時代、いま私たちが考えること。

モノを作るのも、モノを動かすのも、やはり技術者一人ひとり、ヒトなのです。